歴史
前身である「むくむく」が誕生したのはおそらく81年から2年にかけてのことだろう。学芸大教授の広井力先生が、美術科の学生を中心に自作の熱気球に取り組んだのが始まりと言われている。先生から始まるところがどこか学芸大らしさを感じる。広井先生は1980年より日本気球界の草分けでもあるFEBC(Far East Balloon Club)に所属していた。
確かに首都大に保存してある1982年の関東学生気球連絡会の冊子には、学芸大学バルーンプロジェクトという名前がある。
ここで気球年鑑を見てみると、1982年にムクムクという名の気球が登録されたことがわかる。その後、飄々などいくつかの気球を作り、そのうちエアロスター製になり、最後はキャメロン製になっている。全てで6機だろうか。
そして2005年に潰れるまでは活動が続いていたように推測される。部室も存在していたことは、現在のサークル棟の一角からもうかがい知れる。
早稲田の学生などもいたということで、その方が2017年まで最後の気球「雨のち晴れ」を管理してくれていた。
また、同じく学芸大にあるスキューバダイビングサークルのネプチューンのルーツはむくむくにあるという話をネプチューンの方から聞いた。実際はどうかわからないが、先に上げた写真をみるかぎり、新サークル棟の時点で部室は別のようである。
さて、2005年にサークルとしては潰れたが、機材は残っていたり、OBも残っていたりで、むくむくというクラブの名は残っていたのではないだろうか。上士幌や小千谷など、いくつかの大会にも出場しているみたいである。そう言われてみれば、最後の気球である「雨のち晴れ」には色移りの跡があり、これは雪のせいだと聞いている。
(今回はここまで)
0コメント